日常 vs 非日常
先日、「南瓜とマヨネーズ」という映画を観た。
魚喃キリコさんの恋愛漫画を原作とした映画だ。ストーリーはこのとおり、
主人公の土田(ツチダ)は過去の自分を救ってくれた同棲中の恋人せいいちの夢を叶えるために生活を支えていた。ミュージシャン志願のせいいちは人間関係に悩んでスランプに陥り曲が書けずに毎日ダラダラ過ごす日々。一方ツチダは内緒で水商売を始めて店の客と愛人関係になってしまう。その事を知ったせいいちは心を入れ替え働き始める。そんな矢先、ツチダは昔の恋人萩野正史(ハギオ)と偶然再会し、過去の思い出にしがみつくようにハギオにのめり込んでいく。 wikipediaより
ぼくはこの映画が好きだった。予告を観たときから好きな気がしてたけど、やっぱり間違ってなかった。
ツチダとせいいちの日常はありふれていて、でもその日常が続くことは当たり前じゃない。そんなことを感じさせてくれる映画だった。
せいいちを日常とすると、ハギオは人間の皮を被った非日常だった。
僕たちはともすると、日常に慣れてしまうとどこかで刺激を求めてしまう。ギャンブルであったり、自分の身の危険をさらすことだったり、旅することだったり。非日常を求めてしまう。
それはなぜか、
「生きている」ことを実感したいからだと思う。日常は平凡すぎて、少し退屈で、じつはたくさん幸せが隠れているのに、慣れてしまうとその有り難さを忘れてしまう。「生きている」ことを実感できない。人間は愚かで死や危険を身近にしないと「生きている」ことを実感できないことが多い。そうして非日常を求める。
日常 vs 非日常
あなたの中ではどちらが勝つだろう。
日常が圧勝の人、引き分けの人、非日常が少しだけ勝っている人、いろいろな人がいると思う。いろいろな人がいていいと思う。
この相反する2つの概念の間を人間は行き来するのだと思う。
日常と非日常の間にある無数の点、それを様々な経験を通して移動する。相反する概念は無数にある。無謀か臆病か。金遣いが荒いか倹約家か。仕事が大事か家族が大事か。その無数に存在する、相反する概念の間を移動し、自分にとってのベストな点を見つけること。それが人生なのだと思う。
だから昨日の自分と今日の自分は違う。コンマ何ミリかもしれないけど、昨日の経験を通してなにかの考え方が変わっているのだ。
なんか哲学みたいな話になってしまったけど、最近こんなことを考えるのが好きな変人です。自分と違う考え方に触れるのが好きなので、それはちがうよーと思ったら教えてください。
ちなみにぼくはいまのところ8:2で非日常が勝っています。あなたはどうですか。
ハギオという非日常に対してツチダがどんな決断を下すのか気になった方はぜひ劇場で。
そして最後は予告の中のお気に入りのセリフで、
「私たちのこのありふれた平凡は、ほんとは壊れやすくて、なくさないことは、奇跡。」