いせログ

書きたいことを書きたいままに。

ぼくの夢【下】

ぼくはある広告制作会社でPM(プロダクションマネージャー)という仕事をしていた。

 

簡単に言うと、

CMやwebムービーの企画から納品までの製作進行管理を行う仕事だ。

 

何か映像作品を作るとなったとき、

監督のアサイン、企画の提案、撮影場所のリサーチ・交渉、出演者の依頼、オーディション、撮影に使う道具の手配、資料の作成、撮影現場での仕切り、編集作業など業務は多岐にわたる。

 

もちろん定時という概念はなく、

家と会社を往復して、休日は友達と遊ぶかそんな気力もなくのんびりしているかの日常を過ごしていた。

 

 

焦り

ぼくには目的がなかった。

プロデューサーになりたいわけでもなく、監督になりたいわけでもない。会社にとくになりたい姿の大人もいない。

 

4月に入社したときのわくわくはどこにもなかった。終わりの見えないトンネルの中をひたすら走っているような感覚だった。

 

「それが社会だ」

 

そう思えば楽になれる気がしたけど、

そうは思いたくなかった。そうなったら何かが終わってしまう感覚があった。そんなとき2月に抱いた自分の夢を思い出した。

 

 

あの夢はいまの会社で実現できるか。

そもそも自分がきらきらしてないじゃないか。

そんな自分が人を輝かせることなんて出来ない。悩んで悩んで、

 

ぼくは上司に仕事を辞めたいことを伝えた。

 

 

船出

E domani...

会社を辞めることを決めた後ぼくはしょーじきわくわくしかなかった。次は何をしよーか。まるで旅中に次の行き先を決めるような感覚だった。

 

ただ自分が掲げた

「やりたいことや夢を気軽に発信し、実現できる社会」

という目的地だけは見失わないようにしていた。

 

その目的地にたどり着くための手段の1つとして、ぼくは教育に興味を持ち始めた。

 

 

「自分のやりたいことがわからない」 

 

 

さいきんそういう同年代の人たちに会う。それはなにが原因なのかといったら、いろいろあるけど一番は教育だと思う。とても閉鎖的で触れる大人といったら学校の先生だけ。そんな環境の中で育ったら社会にでて働くイメージができないのも当たり前。大学受験が終わったらその開放感で遊んで、気づいたら就活で、そこでやっとどんな業界があるのか、どんな会社があるのか、調べ始める。それが大方の現状だと思っている。

 

だから高校生の段階でもっと多様な大人と触れ合える機会を設けたいと思っている。もっと多くのことを経験できる場を設けたいと思っている。そこで自分のロールモデルとなる生き方を見つけたり、なんとなくこの業界好きだなーとかを見つけたりして、学力っていう一つの軸じゃない大学進学の仕方ができればなーと思っている。

 

 

これはぼくのたった23年の経験の中でできた夢だ。これから新しい経験をして、もしかしたら考え方が変わるかもしれない。甘い考えだってのもわかってる。しょーじき掲げる夢はこれでいいのかと不安になることもある。教育に興味をもっていろいろな人とあって、教育の現状を少しだけど知って、そんな簡単じゃないこともわかった。でも夢を軌道修正したり、一度立ち止まったりしながら、前に進めばいい。完璧な夢なんて作れない。

 

 

だからぼくは自信をもって進んで、まずは社会とか大きなものじゃなくて目の前の生徒と全力で向き合ってみようと思います。だからぼくは自信をもって言います。

 

ぼくの夢は、

 

 

「夢ややりたいことを気軽に発信し、実現できる社会をつくること」です。

 

 

 

社会という大海に木製の小さなイカダで、頼りない手つきで、でも力強く漕ぎ始める。

 

 

 

 

ぼくの夢【上】

ぼくには夢がある。

 

 

「夢ややりたいことを気軽に発信し、実現できる社会をつくること」

 

 

この大きな夢を掲げて転職活動をした。

おかげさまで教育系のベンチャーに就職が決まり、1月から働きます。

 

 

衝撃

この夢を抱くようになったのは、今年の2月。これを語るに欠かせないのはやはりTABIPPOでの経験だと思う。

 

ぼくは、去年就活を終えたあと、

学生時代にやり残したことをやりたかった。それが全力で何かに向かって取り組み、終わった後感動で泣いてしまうような経験。

 

それまで学祭の実行委員やフラッシュモブの運営をやっていたが、終わったあと泣くことはなかった。「泣く」という行為が全てではないが、ぼくはまだ全力を出しきれていない。そんな自分の中での感覚がもどかしかった。

 

 

そんなときTwitterで見かけたTABIPPO学生スタッフ募集の記事。なにげなく気になった本を手に取る感覚で、ぼくはその記事に目を通した。そこには「世界一周した人だけでつくった団体」「名古屋初開催」「ゼロからイチを作り出す経験」「イベントスタッフ」というぼくのわくわくする言葉たちが並んでいた。

 

そんなひょんなことから、

説明会に行きぼくは学生スタッフをすることになった。

 

 

そんなTABIPPOが主催するbackpackFESTAというイベントのコンテンツでDREAMというものがあった。自分がしたい世界一周を2000人近くの人の前でプレゼンし、優勝すると世界一周航空券をもらえるコンテストだ。そこでぼくは時おり面接官をさせてもらった。

 

そこで出会ったのはいろいろな想いをもった同世代の人。「日本の教育を変えたい」「いじめられた経験から世界中の幸せを知りたい」「音楽で人々とつながる旅に出たい」

 

ぼくは衝撃だった。夢ややりたいことを持っている人がこんなにいるということ。そしてそんな彼らのきらきらと輝く姿が。

 

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DREAMの参加者だけじゃなくて、

学生スタッフも熱い想いをもった人たちだらけだった。「世界一周したい」「青年海外協力隊で働きたい」「イベントをなんとしても成功させたい」今まで慣れ合いでその場さえ楽しければいいと思っていたけど、そこで本音を暑苦しいほどに語ってもいいんだ。そんなことを思えた、全力で駆け抜けた半年間だった。

 

 

2月になり、改めて将来のことを考えた。そこで夢ややりたいことをきらきらした顔で語る人や、自分の指針をもって生きている大人のことを思い出した。

 

 

こういう人が増えたら世界はもっと素敵になるんじゃないか。

 

 

いつも身の丈に合わない目標を掲げるぼくは、そうして人生の目的とも言える夢をもった。

 

 

ただ内定先をけって、新たな道を探すほど度胸のなかったぼくは、内定をもらっていた広告制作会社で働くことにした。 

 

 

 

 

 

 

引っ越し。

今日ぼくは引っ越す。

 

埼玉から千葉に引っ越す。

津田沼というところだ。家賃が安くなるからとても助かる。東京駅まで30分。立地もわるくない。

東京を避けて関東から関東へ。

東京に住みたくないわけじゃないけど。

 

 

好きじゃないことはとことんぎりぎりになるまでやらない主義のぼくは、徹夜で引っ越し準備をすることになった。実際好きな音楽を聞きながらリズミカルに片付けをしていると楽しくなってくる。ミュージシャンって思想家だよないや哲学者かとか思いつつ、もっと早くやればよかったと後悔する。さいきんぼくの中で思想家という単語がきてる。

 

 

たった9ヶ月しか住んでいなかったけれど、引っ越しの準備をしていると、少し寂しくなってくる。ぼくの思い出が、物語が、この空間に詰まっている。新居だったからまだぼくの物語しか詰まっていない。なぜか得意げになる。

 

 

仕事で馬車馬のように働いて泥のようになって帰ってきたあの日も、彼女に振られてぼーっとしていたあの日も、うまのあう友達といい感じに酔っ払っていたあの日も、この場所に帰ってきた。

 

それが明日からは別の場所に帰ることになる。そしてどこの誰とも知らない人がこの部屋に住み、新たな営みをはじめる。そしてその人もいつかこの部屋を出て、また新しい人が入ってきて、それぞれ自分の物語をこの部屋と共有してどこかへ去っていく。

 

不思議だ。こんな営みがぼくだけじゃなくて、日本だけでも何百万、何千万とある。

 

次はどんな人が住むのかなあ。

まったくおれとは関わらないけど、綺麗な人だったらいいなあ。素敵な文章を書く人だったらいいなあ。男だったらちょっと不器用だけど思いやりがある人がいいなあ。

 

 

この部屋は最終的にはどうなるのかな。

100年後に壊されるのか。地震がきて崩れるのか。リノベーションされて新たな住空間が形成されるのか。はたまた壊れる前に人間が別の惑星に行くのかな。

 

 

どうなるんだろう。

 

 

どうなるにせよ、ぼくはこの部屋で紡いだ物語を、ふとした瞬間に思いだすんだろうなあ。この部屋の中に入ることは2度とないかもしれないけど。

 

 

短い間でしたが、ありがとうございました。

また新しい誰かの物語を紡ぐ場所になってください。

 

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31536000秒

1年は365日。

時間にすると8760時間。

分数にすると525600分。

秒数にすると31536000秒。

とんでもない時間を過ごしたように感じる。

 

昨日12月16日、ぼくは23歳になりました。はれて725326000秒この地球にいます。

 

いろいろな人がお祝いの言葉を送ってくれて本当にありがとうございました。改めて周りの人に恵まれていると実感しました。

 

22歳の幕開けはbackpackFESTA名古屋の開催2日前という怒涛の中でした。イベントを終え、tabippoの活動を終え、南米を旅し、ウユニ塩湖に行き、春が来て、大学を卒業し、名古屋を離れ、東京で就職し、東京の人の多さに慣れ、夏が来て、彼女ができて、秋が来て、仕事をやめ、多くの人と出会い、新たな行き先を決め、彼女と別れて、なんてことをしていたらまた冬が来て1年が経っていました。

 

 

同じ目を通しても、

1年前と見る景色はまったく違い、1年という時の長さを感じます。

 

 

この1年で手にしたもの、手放したもの、はもちろん両方あって、でもその数がとても多かった1年のように感じています。

 

 

backlighting

 

 

慣れ

「歳をとると一年が早い」

 

よくこんな言葉を聞いて、さらには

 

「20歳までの人生と、残りの人生は体感時間的には同じ」

 

ということを聞いて、絶望したときもありました。でもそれは生き方次第だと思います。

 

 

慣れ親しんだ道を歩くのはあっという間に感じるのと同じで、慣れ親しんだことで埋め尽くされた人生はあっという間です。赤ちゃんのころは見るものすべてが新鮮で、1つ1つの出来事に驚いていました。でもいまは日常生活を過ごす上で新たな発見はあるでしょうか。今日なにか新たな発見をしたでしょうか。

 

 

ぼくは毎日新しいものに触れ続けたら残りの人生80年は通常通りいままでの4倍の体感時間だと思います。もしかしたらもっと長いかもしれない。

 

新しいものはなんでもいい。いつもと違うテイストの映画を観る。たまには小説じゃなくてビジネス書を読んでみる。いつも会わないような人に会う。ビールじゃなくてワインを飲む。そんな小さなことから始めて、広がっていく世界もあると思うのです。そんな日々を送りたいと思っているのです。

 

 

人生に慣れるな。

 

23歳はどんな1年になるのか、わくわくしかありません。

 

 

日常 vs 非日常

先日、「南瓜とマヨネーズ」という映画を観た。

 

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魚喃キリコさんの恋愛漫画を原作とした映画だ。ストーリーはこのとおり、

主人公の土田(ツチダ)は過去の自分を救ってくれた同棲中の恋人せいいちの夢を叶えるために生活を支えていた。ミュージシャン志願のせいいちは人間関係に悩んでスランプに陥り曲が書けずに毎日ダラダラ過ごす日々。一方ツチダは内緒で水商売を始めて店の客と愛人関係になってしまう。その事を知ったせいいちは心を入れ替え働き始める。そんな矢先、ツチダは昔の恋人萩野正史(ハギオ)と偶然再会し、過去の思い出にしがみつくようにハギオにのめり込んでいく。 wikipediaより

 

 

ぼくはこの映画が好きだった。予告を観たときから好きな気がしてたけど、やっぱり間違ってなかった。

 

ツチダとせいいちの日常はありふれていて、でもその日常が続くことは当たり前じゃない。そんなことを感じさせてくれる映画だった。

 

 

せいいちを日常とすると、ハギオは人間の皮を被った非日常だった。

 

僕たちはともすると、日常に慣れてしまうとどこかで刺激を求めてしまう。ギャンブルであったり、自分の身の危険をさらすことだったり、旅することだったり。非日常を求めてしまう。

 

 

それはなぜか、

 

 

「生きている」ことを実感したいからだと思う。日常は平凡すぎて、少し退屈で、じつはたくさん幸せが隠れているのに、慣れてしまうとその有り難さを忘れてしまう。「生きている」ことを実感できない。人間は愚かで死や危険を身近にしないと「生きている」ことを実感できないことが多い。そうして非日常を求める。

 

 

日常 vs 非日常

あなたの中ではどちらが勝つだろう。

日常が圧勝の人、引き分けの人、非日常が少しだけ勝っている人、いろいろな人がいると思う。いろいろな人がいていいと思う。

 

この相反する2つの概念の間を人間は行き来するのだと思う。

 

日常と非日常の間にある無数の点、それを様々な経験を通して移動する。相反する概念は無数にある。無謀か臆病か。金遣いが荒いか倹約家か。仕事が大事か家族が大事か。その無数に存在する、相反する概念の間を移動し、自分にとってのベストな点を見つけること。それが人生なのだと思う。

 

だから昨日の自分と今日の自分は違う。コンマ何ミリかもしれないけど、昨日の経験を通してなにかの考え方が変わっているのだ。

 

なんか哲学みたいな話になってしまったけど、最近こんなことを考えるのが好きな変人です。自分と違う考え方に触れるのが好きなので、それはちがうよーと思ったら教えてください。

 

ちなみにぼくはいまのところ8:2で非日常が勝っています。あなたはどうですか。

 

 

ハギオという非日常に対してツチダがどんな決断を下すのか気になった方はぜひ劇場で。

 

 

そして最後は予告の中のお気に入りのセリフで、

 

 

 

「私たちのこのありふれた平凡は、ほんとは壊れやすくて、なくさないことは、奇跡。」

 

 

 

 

寂しさが好きだ。

先日、彼女と別れた。



赤羽駅の居酒屋で彼女と別れた。
小雨が降っていて、傘をさすかどうかという天気だった。


ぼくと彼女の幸せの価値観は違った。
彼女は大切な人と結婚して、家族になって、とても大きいことは起きないかもしれないけど、その毎日を抱きしめるように、大切に過ごしたかった。

ぼくは日常のふとした幸せにももちろん目を向けたいけど、大きな夢に向かって走っていたかった。いろいろなものと巡り合って、自分の中のいろいろな感情と出会って、自分の世界を広げてみたかった。


そんな話をしたとき友達が教えてくれた言葉がある。

「愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめること。」by サン・テグジュペリ

ぼくらは、お互いを見つめ合う瞬間はもちろんあった。でも同じ方向を見つめることはできなかった。



帰り道

駅で彼女と別れるとき、
今までの時間を惜しむようにお互いの顔を見た。そしてどうしようもなく不器用な手つきで握手をした。ぼくは満面の笑みのつもりで送りだした。


濡れた路面を歩いていると、寂しい。
でもぼくはちょっぴりその寂しさが好きなことに気づいてしまった。


その寂しさは、映画のエンドロールを観ているときに似ていた。電話をきったあとに似ていた。小説や漫画の完結巻を読み終わった後に似ていた。飲み会の後の帰り道に似ていた。卒業に似ていた。夕焼けに似ていた。



それは楽しかった時間があった証明だった



たしかに繋がっていた証明だった



楽しさがあるから寂しさが生まれる。
楽しさが大きかった分だけ、誰かを好きな分だけ、終わってしまったときの寂しさは大きい。


どれくらいの寂しさまで好きだと言えるだろう。


寂しさが好きだ。


長い自己紹介

どーも。森越一成です。

 

ブログをはじめよーはじめよーと思っていて、やっと始めました。ファンの皆様大変長らくお待たせいたしました。(ほぼいない)

 

簡単に自己紹介すると、

静岡出身、大学が名古屋で今年の4月から東京の広告制作会社で働き始め11月に辞めました

 

仕事を辞めた話はまた後日するとして、

今年23歳の代で、趣味は映画観賞、読書、旅、人と話すこと。こんなかんじかなー

 

フットワーク軽く何事も挑戦しがちな、童顔ちょーぜつポジティブポエマー人間大好き人間です。(ブランディングがくそ)

 

 

 

なぜブログを今始めたのか

仕事を辞めたときに

「仕事辞めました。ブログ始めました。」というノリでブログを始めようと思っていました。でも自分のやりたいことは「なんとなくあるけど、揺らいでいる」そんな何者でもない状況で発信するのは、恥ずかしいしおもろくないと思っていました。

 

でも先日えとみほさんのノートを読んでいてハッとさせられた。

本当に「儲かるブログ」とは|えとみほ|note

 

なんでもない日記みたいなブログが読みたい

 

そうか。ブログってタメになるとか、ならないとか判断軸ってそれだけじゃないんだ。そう考えたらすごい気が楽になりました。

 

 

 

長い自己紹介を綴るように

だからこのブログでは日常の出来事だとかそれについて思ったことを等身大で、ときには少し背伸びして書きたいと思っています。

 

「ありのままの自分を知ってほしい」

「かっこいい文章を書きたい」

「将来本を書いてみたい」

「ちょっと稼げたらいいな」

「今日のハッピーをシェアしたい」

 

いろいろな想いがあって、でもそれ全部含めて自分で、そんなぼくのことを知ってもらえる長い自己紹介を始めようと思います。

 

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